競馬界では、7月30日、ディープインパクトが亡くなったニュースがありました。
しかし、そんな悲しい話題を吹き飛ばすように世界のトップジョッキーであるランフランコ・デットーリが日本参戦が決定した、という嬉しいニュースが飛び込んできました。
ランフランコ・デットーリは、今回の参戦の為、JRA短期騎手免許を取得しての参戦になるので、11月9日から12月初旬までの出場になります。
デットーリの日本での参戦は2011年開催の日本ダービー以来8年半ぶりとのことです。
ランフランコ・デットーリ騎手がJRA短期免許を取得して、11月9日から12月初旬まで日本で騎乗することが、明らかに。デットーリ騎手の日本参戦は2011年の日本ダービー(デボネア12着)に騎乗するため2日間だけの短期免許を取得して以来8年半ぶりとなる。 https://t.co/HcnjzexKLQ pic.twitter.com/skKLDEYbvE
— Stay Dream (@StayDream21) August 1, 2019
日本ダービーの時は、デボネアという人気の馬に乗るために来日しており、この時は2日間だけの短期取得であったため、腰を据えての来日は今回が初めてとなります。
ランフランコ・デットーリのプロフィール
- 生年月日:1970年12月15日(48歳)
- 出身地:イタリア ミラノ
- 国籍:イタリア
- 免許取得年:1985年
- 免許区分:平地
ランフランコ・デットーリ(正式名称:Lanfranco (Frankie) Dettori MBE)は、イタリアのミラノ生まれの騎手で、世界トップクラスの騎手と言われています。
デットーリの父親であるジャンフランコ・デットーリは、ボルコンスキー、ウォローで英2000ギニーを制覇していて、日本でも第2回と第3回のジャパンカップの為に2度来日したことがある名騎手です。
母親は、サーカス団に所属していた経験があり、馬乗りを得意としていました。
14歳の時に単身でイギリスに渡って、ルカ・クマーニ厩舎で修業を積んで、15歳の時に騎手としてデビューをしました。
レースで勝利した際に馬の背に立ち上がってその状態から飛び降りる、通称「デットーリジャンプ」が有名です。
デットーリはイタリア人ですが、母国のイタリアで騎乗をする事は非常に少なく、大半は世界中を飛び回っています。
その為、英語とフランス語が堪能で、日本語も少し話せます。
ランフランコ・デットーリの戦歴
海外でも数々の戦歴を残していて、史上最多の凱旋門賞を6勝して、1996年には、1日7レースに出場し、全勝を納めています。世界各国でG1レースに勝利した回数は220勝で、日本のG1レースでも4回優勝しています。
また、凱旋門賞3連覇が懸かかっている世界最強牝馬エネイブルで主戦騎手を務めていて、すでにG111勝しています。
そんな海外での活躍が目覚ましいデットーリですが、日本でも輝かしい結果を残しています。
1991年にジャパンカップでドラムタップスに騎乗するために初来日し、2005年まではほぼ毎年出場するために来日しています。
日本での成績は、84回の出場経験があり、18勝を挙げています。
日本での主な戦歴は、1996年のジャパンカップ(シングスピール)、2002年のジャパンカップダート(イーグルカフェ)、ジャパンカップ(ファルブラヴ)で2日連続G1制覇、2005年のアルカセットで優勝をしています。
この記録は、武豊騎手に次いで2位です。
また、2016年にはイギリスの平地競争で史上6人目である3,000勝を達成しました。
現在はジョン・ゴスデン厩舎の主戦騎手として活躍しています。
ゴドルフィンとの専属契約は切られてしまっていますが、ゴドルフィンの馬に騎乗する事はできる為、現在も現役で活躍されています。
ランフランコ・デットーリの年収は?
デットーリは、1994年にゴドルフィンの主戦に抜擢されるなど、世界で活躍している名騎手です。
その為、年収もすごいことになっています。
2010年、イギリスのサンデータイムズの長者番付の発表では、年収は1200万ポンドとなっており、日本円にすると約20億に達しています。
ただし、これはデットーリ自身が経営しているレストランの収入も含まれているので、騎手だけの年収はもう少し低いと思います。
騎手の他にサイドビジネスを行っている
騎手としての活躍だけでなく、サイドビジネスとして「フランキー・デットーリ・ピザ」や、「フランキー・デットーリ・イタリアン・レストラン」を経営しています。
店舗はロンドンと上海に展開されています。
過去に飛行機事故を経験するも復活
デットーリは、2000年6月にニューマーケット競馬場からグッドウッド競馬場への移動の際に乗った軽飛行機が、墜落事故を起こしたことがあります。
この飛行機事故では、運転していた操縦士が亡くなっていますが、デットーリは右足首骨折、頭部打撲などの重傷は負ったものの、同乗していたレイ・コクレーン騎手に助けられ、奇跡的に生還しています。
その事故から2か月後には復帰して騎手として活躍しています。
まとめ
ランフランコ・デットーリ騎手の来日、家族、年収、戦歴などを紹介してきました。
輝かしい記録をいくつも打ち立ててきたデットーリですが、今回日本での短期免許取得は比較的長期間に渡っています。
今までは長くても2日間の免許取得であったため、約1ヶ月近くの滞在は今回が初めてとなります。
どんなレースを見せてくれるのか、楽しみにしたい所です。