「きつい」「汚い」「危険」いわゆる3Kと呼ばれる業種の代表といえば運送業界があげられます。
故に今では人手不足に陥りドライバーに対する負担も一昔前と比べて比較にならないほど増しているといいます。
さらに佐川急便の30年前の給料が凄かった!とSNS等で話題にもなっています。
そこで運送業界の雄、佐川急便の今と昔を様々な角度から比較してみたいと思います。
佐川急便の30年前の給料が凄い!
まずは、その発端となった30年前の佐川急便の求人広告をtwitterで紹介した@M16A_hayabusaさんのツイートです。
佐川急便「30年前」の求人欄…
— M16A HAYABUSA (@M16A_hayabusa) September 25, 2019
本当だったら今の時代、これ位の給料を貰わなければ本当に割りが合わない程に忙しいのに、何で給料が下がっているのか?好景気なのに… pic.twitter.com/hFbzmkrBLV
これ現在ではなく30年前です。。。
初任給40万円!
3ヶ月後には・・・7万アップの47万円
6ヶ月後には・・・12万アップの52万円
わずか半年で30%もの昇給って、今では考えられませんね。
30年前といえば平成が始まった1989年、その当時のお金事情を比較してみると
1989年 | 2018年 | |
大学初任給の平均 | 16万9000円 | 21万1039円 |
サラリーマンの月平均小遣い額 | 5万3000円 | 3万9836円 |
日経平均株価 | 3万8915円 | 2万1676円 |
当時は1986年から始まったバブルの真っ只中で1991年に崩壊するまで右肩上がりの経済成長を続けていた背景があるとはいえ、大学初任給の平均の2.36倍もの給料を手にできていたんですね。。。
2018年の大学初任給の平均が21万1039円ですので、同じ比率にしてみると49万7000円程になる計算ですが実際、今の新入社員の給料は佐川急便のHPで確認すると、こんな感じです。
30年前と比べて様々な意見もSNSで飛び交っています。
SNSでの反応
いや、様々な事情から今と較べづらい。2倍の過積載なら当然の時代には危険手当の観念からか10t車ならひと月100万近く貰えた。ゴーンショック時は運送業が真っ先に原価低減の矛先になったり、その後、物量が一気に落ちた時もあったり。急激な給与下げでベテランが続々転職し代わりに未経験運転手激増。
— piloxi (@piloxi1) December 5, 2018
佐川のお兄さん、70万くらい稼いでて、若くで家建ててはりました。ただ労働基準法なんか全然守られてない長時間労働です。今は法律が厳しくて、仮に労働者本人が望んでいても、異常な長時間労働は会社がさせないようになったそうです。
— こてぽ (@kotepokotepo) December 5, 2018
俺の時は初任給50万でしたよ。あっという間に月給100万でした。
— 在日韓国人への疑問にお答えするかも? (@yuruyururun01) September 25, 2019
佐川(オートバックスとかもあった)で○年働いて起業する
— ten_duo (@ten_duo) September 25, 2019
ってのが普通に実現できてたあの時代が懐かしい
当時は運転手のほかで「これほど短期間に給与水準が大幅ダウンした職種」は存在しなかったかと。運べる荷物は(積載量の厳格化で)半分以下に→運転手の労働時間も燃料も車両も「倍以上も」必要になり経営も困窮。
— piloxi (@piloxi1) December 5, 2018
※不正確かもだが、たしか1~2年の間に1/3に(60~70%カットだよ?)ダウンしたような…。
社会の労働環境の変化に運送業界は特に影響を受けたのでしょうか。だだ下がりもいいところで労働環境の改善も進んでないことにより今の人で不足の原因の一旦があるようですね。
で、気になったのがこのツイート
佐川マン曰く、給料月片手では恥ずかしかった時代。ただし、日の出前出社、日が変わってから帰宅が当たり前で、それが出来た時代ですね、今は積み込みも荷下ろしもバイトがやり運転手は8時出勤夕方上がり、休日もあるが手取り20万いかないそうな。この時代に佐川で儲け会社を興したのがワタミ渡邉美樹
— MA⋈Rimo (@Marimo_B) December 6, 2018
1代でワタミグループを興し先日国会議員を引退した渡邉美樹氏が実は佐川急便のセールスドラバーだったこと!。。。で調べて見たら「日本の社長」でその当時を語っていましたのでご紹介します。
<起業資金調達のため、佐川急便で過酷な労働>
大学卒業後は、会社経営に必要な経理の勉強をするために、ミロク経理という会社に入社する。ミロク経理は当時、急成長ベンチャーとして知られた会社だった。そこで半年間勤め、バランスシートの読み方を覚えると、次に起業資金を貯めるために佐川急便のSD(セールス・ドライバー)に転職する。
佐川急便の仕事は、月収43万円という高給だったが、その労働環境は過酷なものだった。一日の労働時間は20時間近く。さらに大卒の渡邉に対する風当たりも強く、先輩SDからのイジメが絶えなかった。そんな状況下でも渡邉が決して逃げ出さなかったのは、「お金を貯めて会社を創る」という夢があったから。渡邉は1年間で、300万円という資本金を貯め、佐川急便を後にした。
引用:日本の社長より
1年間で300万円を貯めるとは、やはり昔の佐川急便の給料体系は凄かったのがわかりますね。
その他、ソフト・オン・デマンド元社長の高橋がなり氏やUpperleft株式会社社長の鈴木龍平氏など有名企業の社長も佐川急便出身者がいますね。
佐川急便の会社情報
そんな佐川急便ですが、ここで売上や業績、従業員数を法人化後に記録がある2001年と現在を比較してみました。
【社歴】
1957年 | 佐川清が京都において京都-大阪間を主体とした飛脚業を開始する |
1965年 | 佐川急便として法人設立 |
1998年 | 宅配便事業に参入 |
2006年 | 持株会社 SGホールディングス株式会社を設立 |
【売上、総取扱個数、従業員数】の比較
売上 | 総取扱個数 | 従業員数 | |
2001年 | 738,006百万円 | 818,447千個 | 37,724人 |
2018年 | 1,0450,000百万円 | 1,262,225千個 | 51,339名 |
一人当たり売上をだしてみると
2001年・・1,956,330円
2018年・・20,354,895円
ほぼ10倍を超えていますが、お給料は。。。
体育会系と言われた佐川
かつては体育会系と言われた佐川急便ですが、現在と過去でどのように変わったのか変わっていないのか、気になる労働環境を最後に見てみましょう。
私、その頃の時代です。出自とか家庭の問題とか、借金があるとか。そういう事情で佐川に行く、というのはありました。それを救う会社として、肯定する感覚が私はありました。親しい友達も、境遇の関係で頑張っていました。その後、話をした時に聞きましたが、入社する時に、"いくら欲しい?”と聞かれた
— tony (@N_Tony_K) September 25, 2019
当時、佐川急便にいましたけど今の会社じゃ考えられないほどにパワハラ凄かったですよ。
— ドランカー (@crash3570) September 25, 2019
僕は新潟店でしたが、消費税導入直前だったので毎日18時間労働でした。手際が悪ければもっと帰れなかった。
つづく
当時の佐川のトラックにはクーラー無し。
— デグレチャフ (@takuhiro0411) September 25, 2019
毎日、4リットルの水を飲んでたって聞きました。当時、佐川のドライバーが走っていたのは、走らないと仕事が終わらないから。
財産作った人とギャンブルや酒で破滅する人の2種類のタイプがいたそうです。
トラックドライバーの半分以上は、トラック生活がほとんどですね…。運輸会社で、財務していましたので、現実を見てきました。
— 尾辻 賢栄 (@ed761115) September 25, 2019
佐川は良かった。金はいくらでも稼げるし、身体は引き締まるし何つってもモテる。あんないい職場無かったですよ。きっちり4週8休で休みめちゃめちゃ多いし。
— 在日韓国人への疑問にお答えするかも? (@yuruyururun01) September 25, 2019
数年ガッツリクソみたいに働いてがっぽり貯金をして起業したり家を立てたり・・・
昔の夢や希望が多くの国民に共有されていた時代を佐川急便の給料の遍歴から透けて見えてくる様な気がしますね。